平常心を測るお茶

私が仕事で大勢の人前で話す時のビデオは、録画が残っている。内容は自分の頭に入っているので見る必要は無いのだけども所作が気に掛かると言うか初めの頃に所謂「穴があったら入りたい」と何度も自己嫌悪に陥っていたトラウマかも知れないが必ず見る。

物言いや所作は、一朝一夕では身に付かない。食べ方が綺麗だとか言われて、初めて母の有り難さがわかったが、物言いや所作は、周りにいる人達と影響し合って変化して行く。欧米人がクラスと呼び教養があるかどうかよりも物言いや所作で人を判断するのも仕方ない。

お茶の先生をしていた方と、茶室では無くラウンジでお会いした。いやぁー、なんと素晴らしい事か。毎朝、お茶を立てられるそうだが、今日は私との約束があるのでソワソワしてるわと感じたとか。

武士が出陣前にお茶を飲んだのは、自分の平常心を確かめる為だったとか。流石に武家のお嬢様。品の無い褒め方をした私は恐縮した。スタイルが良いとか、声が良いとか、美人だとか、そんな物差で測る様なレベルでもラベルでも無い。物言いや所作は、まさにその人の人生の結晶なのだと私は思った。